失敗への対応に現れる経営者の真価
失敗への対応にこそ、経営者の真価が現れる。集客が向き合うのは顧客の心であり、マネジメントが向き合うのは社員の心である。集客の核は顧客の心にあり、マネジメントの核は社員の心にある。
部下が起こした失敗からのクレームを、「ダメなヤツだ」と受け止めるのか。それとも、「成長の機会だ」と受け取るのか。ここに、人柄の違いがはっきりと現れる。
上司が失敗を成長の機会として見てくれるなら、部下は成長と貢献を通じて応えようとするはずである(恩返しを期待しているわけではないが)。一方で、部下の失敗を責め、叱責に明け暮れれば、彼は自信と居場所を失っていく。
私自身、どれほど多くの過ちを繰り返してきただろうか。そのことに途中で気づき、社員に寄り添えるようになるまで、創業から18年を要した。2011年から2020年まで、正社員の離職者が出なかった時期がある。経営が安定していったのは、まさにその頃であった。
人柄マーケティングのすすめ
人柄が人柄を引き寄せる。それは、言うまでもない事実である。
たとえば、持ち家をできるだけ低価格で提供したいという想いがあるなら、それは立派な志であり、人柄である。お客様が自立し、安心して暮らせる生活を支えたいという姿勢は、確かに価値である。
一方で、費用には糸目をつけず、デザイン性と性能に優れた家を提供したいという考えもあるだろう。それもまた、自尊心を大切にする顧客が、自立した生活を実現するための一つの在り方である。
住宅資金が十分にあっても、築50年の家を建て替えず、リフォームして住み続けたい人もいる。今の住まいへの「想い」を尊重する人柄は、やはり共感する顧客と社員を引き寄せる。
ネットで表現するのは人柄だ
人柄が人柄を引き寄せることが自明であるにもかかわらず、金券やギフト券で集客しようとする企業は少なくない。
しかし、それでは自尊心のある顧客に敬遠されるのは当然ではないだろうか。卑しさとは、自尊心をそれ以下の価値に従わせようとする態度である。卑しさを感じ取った顧客は、静かに距離を置く。
幼少期、両親が共働きで一人っ子だった私は、小遣いだけは十分すぎるほど与えられていた。その結果、「お金を持っている」という理由だけで集まってくる、友だちもどきがいた。幼いながらも、心の底からつながっていないことは感じ取っていた。大人であれば、それを子ども以上に感じ取れるはずである。いや、もしかすると子どもの頃の純真な感覚は、社会を生きる中で曇ってしまうのかもしれない。
人柄以外に、どうやって顧客や社員の心を引き寄せることができるのだろうか。
試される「無私の精神」
ピンチの時に社員を引き留めるもの。不景気の時に、思いがけず顧客に恵まれること。その根底にあるのは、繰り返される失敗から真摯に学び、無私の精神を育ててきた人柄ではないだろうか。無私で生きることなしに、自分や企業の価値に共感する顧客と出会うことは難しい。
うまくいかない時ほど、無私の精神が試される。それこそが、一過性のテクニックではない、人柄マーケティングの揺るぎない土台である。
真摯さの磨き方
集客、マネジメント。これらすべてを貫いているのは、「人の心」である。
ソクラテスの言葉が思い出される。「人生の目的は魂を世話すること(魂への配慮)である」
魂を世話する行為こそが、人柄の磨き方である。魂を世話し、人格を磨き上げる。そこから、無私の精神が育まれる。無私の精神こそが、顧客と社員に信頼を伝える、究極のマーケティングの土台となる。
ところで、魂を世話するのは誰なのか。そして、思い通りにならない人生を世話するのは、誰なのだろうか。
その答えは、他の誰でもない、自分自身の中に存在している。

