
TV、SNS、ネット検索中に広告が表示されると、誰もが感じませんか?
「ちょうどいい場面で広告が入って、ウザい……」
「自分の時間を奪われている気がする……」
「動画を見始めて数秒で広告が流れて、見る気がなくなる……」
広告は、お客様に出会いの機会を提供する。しかし同時に、視聴者のかけがえのない“命の時間”を奪っているのも事実だ
企業にとって広告は出会いの扉であり、新しい機会を生み、時には人生を変えるきっかけになる。けれど、受け手にとってはどうでしょう。見たくもない広告に遮られる数秒は、誰かの「命の時間」を一方的に奪っているのです。
私たちは、広告を「売る仕組み」としてではなく、「人の命の時間を預かる行為」として考える必要があります。その一瞬が不快ではなく、ほんの少しでも心を豊かにするものなら、広告は「邪魔者」から「価値」へと変わるでしょう。
しかし現実には、見込み客を「邪魔」しない価値ある広告は、まだまだ少ないのです。
人の時間を奪う広告の弊害
どんな広告であっても、それは誰かの時間を奪っている。
たとえ、商品やサービスが優れていたとしても、
広告という行為は、人の「命の時間」を使わせてもらっているんだ。
「広告屋が何言ってんだ!」
そう。
だから、多くの広告主を断ってきた。
広告は、一瞬――コンマ数秒であっても、それは、誰かが「生きている時間」そのもの。
つまり、お金を払えば、他人の人生の一部を“買う”ことができる。
それが、広告というものの本質。
だからこそ、
本当に誰かの役に立つものだけを届けるべきだし、そうでないなら、広告しない方がいい。だって、お金を支払い広告して、見込み客から嫌われるなんて、本末転倒ではないか。
商品・サービスとは、人間性!
ビジネスは、
結局のところ、
その人の「人柄」や「人間性」が形になったものではないか。
よいものは広告すれば売れる
ユニクロが価格を下げるのを待つ。
夏なら、エアリズム。
冬なら、超極暖。
だから、ユニクロの広告に目を通す。
Yahoo!のトップに、必ず、ユニクロは広告を出す。
その広告は、私には押しつけにならない。
だって、安くて、生活するには便利なアイテムだから。
そう。
大きな会社だろうが、
小さな会社だろうが、
よい商品・サービスなら広告した方が、見込み客にとって役立つかも知れない。お客様の時間を裏切らないから。
こういう場合、広告はお客様により良い選択機会を提供することができる。
店主の態度が悪ければ、二度と行かない
たとえば、居酒屋さん、行きつけはあるだろうか?
その選択肢は価格?
味?
オーナー、旦那様、女将の態度。
行きつけになる理由は、それぞれ。
だけれど、
味が良くて、リーズナブルでも、
余計なことばかり話しかけられる店員がいるお店ってどう?
店主の態度が悪いお店ってどう?
考えれば、当然のこと。
やはり、商品・サービスって、人柄、人間性じゃないのかな。
煌びやかにAIを駆使するビジネス。
AIって、便利だよね。
ご機嫌取りまでしてくるよね。(笑)
いろいろなことを教えてくれるよね。
だけれど、AIに絶対できないことがある。
言葉になる前の情を感じること。
もしかして、今のAIにはできないだけかもしれない。
でも、将来もできないと思うよ。
だって、普通の人間ですら、言葉になる前に起きることを感じ取れないのだから……
ビジネスは、人間性だ。
それは、言葉になる前のことを実感できる能力。
AIは、PCの前に座る者の、言葉にならない心情を見抜けまい。
言葉になる前の感覚を捉えられまい。

